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JR横須賀駅

(ジェイアールヨコスカエキ)
明治22年(1889)6月に、大船~横須賀間の横須賀線開通に伴い開業し、終戦までは全国的にも極めて重要な駅でした。
昭和15年(1940)に改築された現在の駅舎は、改築前の姿を比較的残し、古典的風格を備えています。わが国では数少ない階段のない駅としても知られています。ホームの屋根を支える柱の一部には、「1886」年の銘がある古いレールが再利用されています。
また、本市の「うみかぜの路(海と緑の10,000メートルプロムナード)」の起終点として位置付けています。

INFORMATION基本情報

住所
〒238-0045
横須賀市東逸見町1-1
駐車場
無し

ABOUTスポットについて

歴史・文化

市制施行七十周年期記念  横須賀風物百選 「JR横須賀駅」

「汽笛一声新橋を」の歌詞で知られる鉄道唱歌に「汽車より逗子をながめつつ/はや横須賀に着きにけり/見よやドックに集りし/わが軍艦の壮大を」という一節があります。明治二十二年六月十六日、大船-横須賀間に開通した横須賀線の終着駅、横須賀駅開業当時の駅頭風景を上手に表現しています。
そのころの横須賀は、現在右手に見える米海軍基地内に、明治十七年に設けられた横須賀鎮守府などの諸施設がある重要な海軍基地となっていました。一方陸軍も、明治十三年から観音崎をはじめとして市内の沿岸各所に着々と砲台を築いていました。しかし、人員や物資の輸送は、横浜-横須賀間の船便に頼っている実情でした。
明治十九年六月、陸海軍は、鉄道布設の必要性を記した請議書を海軍大臣 西郷従道、陸軍大臣 大山巌の名を連ねて総理大臣 伊藤博文に提出しました。この求めに応じて鉄道局は、翌二十年に測量を開始し、二十一年一月に工事を起こしました。工事費は、明治十九年から始まっていた東海道線建築費から四十万円支出しました。当初終着駅は、観音崎付近へとの要望がありましたが、更に五万円から十万円の予算を必要とするうえ、市街地を通さなければならない等の複雑な問題があり、現在地となりました。
現在の駅舎は、昭和十五年に新築されたものですが、大正三年に改築した駅舎の面影をよくとどめている貴重な建物です。
開業当時、汽車はおよそ一時間ごとに発着し、東京-横須賀間に約二時間を要しました。客車は一・二・三等とあり、煙突の長い機関車がそれを引きました。三等運賃は三十九銭で、当時の米価が一升十一銭前後でしたのでかなり高かったようです。乗客数は、明治四十年ごろで一日平均1,843人と記録されています。

横須賀-久里浜間は、軍の求めにより、昭和十九年四月に開通したものです。

※1977年、横須賀市制70周年記念事業として「横須賀風物百選」を選出した際に作られた説明板の全文です

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