浦賀の渡し船ウラガノワタシブネ

Uraga no Watashi (Ferryboat)
走水・観音崎・大津・浦賀
ポンポン船の愛称で親しまれ、浦賀のシンボルになっている渡船は、港に隔てられた東西の浦賀の町を行き来する人にとって、大切な交通手段です。時刻表は無く、渡船が対岸にいるときは、呼び出しボタンを押すと、すぐに来てくれます。約3分ほどの船旅ですが、浦賀造船所跡地に建つクレーンやドックを海から眺めることができます。

information

基本情報
住所
東渡船場(東浦賀2-19-10先)、西渡船場(西浦賀1-2-19先)
アクセス
東渡船場:京急浦賀駅から鴨居方面行きバス「鴨居行」「かもめ団地行」「観音崎行」他(約5分)「新町」バス停下車、徒歩3分
西渡船場:京急浦賀駅からバス「久里浜駅行」(約5分)「紺屋町」バス停下車すぐ
料金
大人:400円、小・中学生:200円、
未就学児:大人1人につき1人まで無料(2人以上は小・中学生料金)、1歳未満:無料
自転車等 50円
※ベビーカー、ペットは無料。
 1人分の座席を使用するような大きな荷物については50円
※障害者手帳をお持ちの方は、大人200円、小・中学生100円、
 介護者は障害者手帳をお持ちの方1人につき1人まで200円
市民の方は上記料金の半額
営業時間
朝7時から夕方5時まで。
定休日
※荒天時(波が高かったり、強風の場合)や船の点検時には休航します。
(随時運航する場合もありますので、詳しくはお問い合わせください。)
駐車場
無し
公式サイト
https://ponponsen.jp
お問い合わせ
046-825-7144((株)トライアングル)

access

アクセス

barrier free

バリアフリー対応
エレベーター ×
エスカレーター ×
入り口段差解消のための措置(スロープを含む) ×
車いす対応トイレ ×
オストメイト対応トイレ ×
車いす貸し出し ×
子供用オムツ替えシート ×
ユニバーサルシート
(大人用オムツ替えシート)
×
障害者等用の駐車場 ×
誘導用ブロック ×

about

スポットについて
渡船『愛宕丸』について

・船名:愛宕丸
・総トン数:4.8トン
・全長:9.0m
・材質:FRP(強化プラスチック)製
・定員:13人(旅客12人、船員1人)
・就航日:平成10年8月9日

歴史・文化

渡船は、浦賀に奉行所が置かれてまもない享保10年(1725年)ごろから始まる長い歴史を持っています。
江戸時代には、船が1艘で船頭さんが2人。この船頭さんの生活と船の維持管理は、東西浦賀の人々や、鴨居や久里浜などの近隣の方の協力を得て、まさに生活に欠かせない船でした。
明治11年(1878年)からは、東西浦賀の17町内会の共同体が維持管理をするようになりました。
この時の運賃は1人1厘5毛で、営業時間は朝6時から夜10時までで、夜間の運賃は倍額と定められました。これが公営交通としての渡船の誕生です。
浦賀町が渡船に関わるのは、それから40年後の大正6年(1917年)のことです。
この頃が渡船の最盛期であり、1日の平均乗船客が1,000人にも達していて、現在の場所から300mほど港の内で、もう1ルートの営業が行われていました。
昭和18年4月、浦賀町が横須賀市と合併して、渡船も横須賀市からの委託経営となり、昭和30年代後半には機械化された船による航行となりました。
現在の船(愛宕丸)は、平成10年8月9日に就航しました。
それまでの木造船から大型化し、江戸時代の「御座船」をイメージしたFRP(強化プラスチック)製の船になっています。
ちなみに、渡船の航路は「浦賀海道」と名付けられ、全国でも珍しい水上の市道(2073号線)です。

浦賀港と渡船

室町時代に、聖護院准后道興(せいごいんじゅんこうどうこう)が著した紀行文・廻国雑記(1486年)に「・・・浦川の湊(みなと)といへるところに到る。ここは昔頼朝郷の鎌倉にすませ給ふ時、金沢、榎戸(えのきど)、浦河とて、三つの湊なりけるとかや・・・」とあります。そこが現在の浦賀港を指すものであるかどうかについては、歴史家の間に疑問があるようです。しかし、「浦賀みなと」の名称そのものが書物の中にみられる最初のものです。いずれにしても、浦賀港が三浦一族や後北条氏によって使われていたことは確かなようです。
この良港に注目した徳川家康は、ここを外国貿易の根拠地にしようと考えました。英人ウィリアム・アダムズを逸見に住まわせ、しきりにイギリスやオランダなどの商船をこの港に引き入れるよう努めさせました。
享保5年(1720)、浦賀奉行が置かれると、江戸湾に出入りする船は、すべて浦賀で船改めをすることが義務づけられました。そのために、浦賀の町は大いに栄えました。以後、浦賀港は、黒船の来航、咸臨丸の出港、日本最初の洋式船鳳凰丸建造の地として、更には浦賀船渠株式会社の設立と、ことあるごとに歴史の舞台に登場してきました。
この港は、湾が約1.5キロメートルも入り込み、東西両岸の住民が往来するのには、渡船を利用することが最も便利でした。したがって、渡船は早くから開かれていたようです。明治九年編さんの皇国地誌には「浦賀渡ト呼ブ町往来ニ属ス・・・船二隻ヲ用ヘテ往復ニ便ナラシム私渡ニシテ修繕民費」とあるところから、最初は民営の渡船であったようです。大正六年には、その重要性を評価されて、浦賀町営となりました。更に昭和18年(1943)4月1日、浦賀町が本市に合併されると、渡船事業も市営になりました。昭和24年(1949)以後、渡船の運行業務を民間に委託し、現在に至っています。