
観音埼灯台カンノンサキトウダイ
初代は横須賀製鉄所で作られたレンガを使用した洋館建ての灯台でしたが大正11年4月の地震で壊れ、翌12年3月に二代目が再建されましたが、同年9月の関東大震災で再度倒壊、現在は三代目で大正14年6月に再建(コンクリート造)されております。
information
基本情報- 住所
- 横須賀市鴨居4丁目1187
- アクセス
- 京急浦賀駅からバス「観音崎行」(約20分)終点下車、徒歩約10分
JR横須賀駅からバス「観音崎行」(約40分)終点下車、徒歩約10分
(車) 横浜横須賀道路馬堀海岸ICから3km(約5分) - 料金
- 参観寄付金大人300円、保護者同伴の小学生以下無料
- 営業時間
- 3月~9月:土日等 8:30~17:00
平日 9:00~16:30
10月~2月:土日等 8:30~16:00
平日 9:00~16:00
※なお、入場は営業終了時刻の20分前までにお願いします。 - 定休日
- 不定休(荒天、工事など)
- 駐車場
- 公園周辺に県営駐車場4カ所(全279台)有り
時間:8:00~17:00(7、8月のみ8:00~18:00)※第一駐車場のみ5:00~19:00
料金:1月1日~1月3日/4月27日~5月12日/7月1日~8月31日/11月3日:普通車880円
上記以外の土日祝は普通車550円、上記以外のウィークデーは無料 - 公式サイト
- https://www.tokokai.org/tourlight/tourlight05/
- お問い合わせ
- 046-841-0311(公益社団法人燈光会 観音埼支所)
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アクセスabout
スポットについて歴史・文化
観音崎灯台 今むかし
慶応2年(1866)に江戸幕府は、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの4カ国と結んだ江戸条約で、船舶航行の安全のために灯台を建てる約束をしました。そして幕府は横須賀製鉄所を建設するため来日していた、フランス人技師(首長)フランソワ・レオンス・ヴェルニーに灯台の建設を依頼しました。ヴェルニーは製鉄所建設課長のルイ・フェリックス・フロランにその仕事をさせました。
この依頼は幕府から明治政府に引き継がれ、観音埼灯台は日本最初の洋式灯台として、明治元年9月17日(新暦1868年11月1日)に起工、同年12月29日(新暦1869年2月10日)に竣工、明治2年1月1日(新暦1869年2月11日)に初めて点灯しました。
この灯台の起工日の11月1日はのちに「灯台記念日」となりました。
灯台の建築に使用されたれんがは、横須賀製鉄所で作られたもので「ヨコスカ製鉄(銕)所」の刻印が押されています。大正11年(1922)4月 26日の地震で大きな亀裂ができたので、大正12年(1923)3月15日に2代目を再建しましたが、同年9月1日の関東大震災で崩れ落ちてしまいました。その後、大正14年(1925)6月1日に再建され、現在は3代目になります。海岸には2代目の灯台の残骸らしき物があります。
市制施行70周年期記念 横須賀風物百選 「観音崎燈台」
明治維新を二年後にひかえた慶応2年(1866)五月、幕府は、イギリス、フランス、アメリカ、オランダとの間に改税約定を結びました。その第十一条に、燈明台を備えなければならないことがうたってあります。また、各国が提出した燈明台箇所書には、相模国三浦郡三崎及び観音崎が示されてありました。
幕府が倒れ、明治元年(1868)となりましたが、8月30日に燈台の建設が始められました。横須賀製鉄所首長であったフランス人技師、フランソワ・レオン・ウェルニーが建設を担当することになりました。横須賀製鉄所で作ったレンガと石灰を使い四角形白塗装の建物とフランス製レンズを備えた灯台が、12月29日に完成しました。そして、翌明治2年1月1日に我が国最初の洋式燈台が光を発しました。
大正12年(1923)6月26日に光源として白熱電燈が用いられるまでは、菜種や落花生の油、パラフィン、石油などが燃料に用いられてきました。
その初代燈台は、大正11年(1922)4月26日の地震により大亀裂を生じました。翌年3月5日に二代目の燈台が改築されましたが、5ヶ月を経た9月1日の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の燈台は、大正14年(1925)6月1日に完成した3代目のものです。
構内の左手に並ぶ句碑が、灯台守の厳しい生活と出船に対する情愛の深さを味わわせてくれます。
霧いかに深くとも嵐強くとも
高浜虚子
汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな
初代海上保安庁長官 大久保武雄
※1977年、横須賀市制70周年記念事業として「横須賀風物百選」を選出した際に作られた説明板の全文です