安針塚アンジンヅカ

Anjinzuka
汐入・横須賀中央・逸見
三浦按針は、英国人で本名はウイリアム・アダムズといい、徳川家康の信任を得て、この地三浦郡逸見村に250石の領地を与えられ、外交顧問として仕えたほか、砲術・造船術・航海術などの西洋文明を伝えました。妻は江戸日本橋大伝馬町の名主の娘です。
元和6年(1620)、按針は平戸で病死し、55年の生涯を閉じました。アダムズの領地であった逸見にある塚山公園には、按針の遺言によってこの地に建てたと伝えられる2基の供養塔が残されています。
凝灰岩でできている右塔が按針、安山岩でできている左塔が妻の供養塔であるといわれ、国の史跡「三浦安針墓」に指定されています。また、「安針塚」として、京浜急行の駅名にもなっています。

塚山公園は桜の名所としても知られ、毎年、桜の時期には按針をしのび「三浦按針祭観桜会」が開催されています。
また、「かながわの景勝50選」にも選ばれているほど眺めが良く、「見晴台」「港が見える丘」からは、遠くは房総半島や横浜、眼下には横須賀港、猿島などが見渡せます。

information

基本情報
住所
横須賀市西逸見町3丁目(塚山公園内)
アクセス
安針塚駅、逸見駅から徒歩約25分
駐車場
無し
お問い合わせ
教育委員会事務局教育総務部生涯学習課
Tel:046-822-8483
E-Mail:se-bes@city.yokosuka.kanagawa.jp

access

アクセス

barrier free

バリアフリー対応
エレベーター ×
エスカレーター ×
入り口段差解消のための措置(スロープを含む) ×
車いす対応トイレ ×
オストメイト対応トイレ ×
車いす貸し出し ×
子供用オムツ替えシート ×
ユニバーサルシート
(大人用オムツ替えシート)
×
障害者等用の駐車場 ×
誘導用ブロック ×

about

スポットについて
歴史・文化
市制施行七十周年期記念  横須賀風物百選 「三浦按針夫妻墓」

墓石は、江戸期の宝筺印塔(ほうきょういんとう)で、国指定の史跡となっています。右が按針の墓で、左がその妻の墓です。
三浦按針は、本名をウィリアム・アダムズと言い、一五六四年にイギリスのケントジリンガムで生まれました。少年時代の十二年間を造船工として働き、成長して海軍に入り、航海長や船長をつとめました。のちに、オランダのファン・ハーヘン会社の東洋探検船隊に加わり、リーフデ号の航海長として一五九八年に東洋へ向かいました。
慶長五年(1600)、台風に遭い、生き残った乗員二十四名と共に豊後国(大分県)臼杵に漂着しました。
徳川家康は、三浦按針を高く評価し、政治・外交顧問として重く用い、江戸日本橋に屋敷を、この地逸見村に二百五十石の領地を与えて厚遇しました。三浦の性は、この三浦の地を領地としたことにより、按針の名は、水先案内人を当時按針と称していたことによります。
この頃の按針は、家庭的にも恵まれ、江戸日本橋大伝馬町の名主馬込勘解由(まごめかげゆ)の娘を妻とし、ジョセフとスザンナの一男一女をもうけました。
家康の亡きあとは不遇となり、元和六年(1620)五月十六日に平戸の豪商木田弥次右衛門宅で病没しました。享年五十七歳でした。
この地に供養塔が建てられたのは、「我死せば、東都を一望すべき高敞(しょう)の地に葬るべし、さらば永く江戸を守護し、将軍家の御厚恩を泉下に奉じ奉らん」との按針のことばに従ったものと言われています。
毎年四月八日(平日の場合)、按針の遺徳をしのび、国際色豊かに「三浦按針墓前祭」が行われます。

※1977年、横須賀市制70周年記念事業として「横須賀風物百選」を選出した際に作られた説明板の全文です
※宝筺印塔は、墓ではなく供養塔であるとされていますが、原文のまま掲載しました。
※「三浦按針墓前祭」は、「三浦按針祭観桜会」と名称は変わりましたが、毎年4月8日に開催されています。

三浦按針(みうらあんじん)

慶長5年3月(1600年4月)、オランダ船リーフデ号が、九州豊後(現在の大分県臼杵市)に漂着しました。この船の英国人航海士ウイリアム・アダムズも、この時はじめて日本の地を踏み、時の五大老の一人 徳川家康に謁見しました。
アダムズの西洋の科学知識と人柄を見込んだ徳川家康は、江戸に招き側近として召し抱えました。母国への帰国を願うも叶えられず、日本人の女性と結婚したアダムズは、江戸幕府の外交顧問として活躍する一方、伊豆伊東で西洋式帆船を建造しました。
元和元年(1615)、家康から厚い信頼を得たアダムズは、帯刀を許され、相州三浦郡逸見村(現在の横須賀市西逸見町、東逸見町のあたり)に250石を所領する旗本に取立てられました。英国に生まれ、本意ならず日本に住むこととなったウイリアム・アダムズは、このとき、「三浦按針」と名乗る日本の武士となり、その後の生涯を日本の地で過ごしました。
アダムズの領地であった逸見にある塚山公園には、按針の遺言によってこの地に建てたと伝えられる2基の供養塔が残されており、国の史跡「三浦安針墓」に指定されています。

※「按針」の名は、水先案内人を意味し、アダムズが航海士の職にあったために付けられたようです。
※横須賀市の姉妹都市メッドウェイ市(旧ジリンガム市)は、アダムズの生誕地です。