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西叶神社

(ニシカノウジンジャ)
京都神護寺の文覚上人が源氏の再興を祈願して石清水八幡宮を勧請したもので、平家が滅亡しその願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられたと伝えられています。

INFORMATION基本情報

住所
〒239-0824
横須賀市西浦賀1-1-13
アクセス
京急浦賀駅からバス「久里浜駅行」(約5分)「紺屋町」バス停下車、、徒歩1分
公式サイト
http://kanoujinja.p1.bindsite.jp/
お問合わせ
046-841-0179

ABOUTスポットについて

みどころ
社の彫刻群
社は、天保13年(1842)に建造されたもので、社殿を取り巻く総数230を超える彫刻は安房の彫刻師「後藤利兵衛」の作品です。
利兵衛は文化12年(1815)安房国千倉の生まれで、江戸の後藤三次郎の門に学び、神社社殿の彫刻や山車、みこしを多く手掛けました。
拝殿の格天井(ごうてんじょう)の花鳥の彫刻には、当時の日本には渡来していないとされる花や鳥も彫られています。
棟柱を担ぐ力士像も彫られていますが、どこにあるのか探してみてください。

狛犬
社前に堂々と並ぶ狛犬は、左右とも口を開けているように見えます。東叶神社の狛犬の口は、いずれも閉じているように見えることから、東西で一対となっているとの説もあります。
立ち上がって、柱の陰からこちらを窺うようなそぶりの、かわいい狛犬も隠れているので、こちらも探してみて下さい。

漆喰名人の鏝絵(こてえ)
社務所の入口には、白いレリーフが飾られています。左官職人が、鏝(こて)と漆喰(しっくい)で作り上げた「鏝絵(こてえ)」と呼ばれる装飾で、土蔵などの壁を飾るものでした。江戸の中ごろに数多く造られ、干鰯問屋(ほしか)と廻船問屋で栄えた浦賀にも、数点の鏝絵が残されています。
西叶神社の鏝絵は、「三浦の善吉」として全国的に知られる漆喰細工の名人、石川善吉の昭和5年の作と伝えられています。

願が「叶う」叶神社
パワースポットとしても人気があります。西叶神社の勾玉を、東叶神社のお守り袋に納めて身につけていると、恋愛をはじめさまざまな良縁を結んでいただけるそうです。
東西の叶神社は、浦賀の港を行き来する「浦賀の渡し」で結ばれています。
歴史・文化
市制施行七十周年期記念  横須賀風物百選 「西叶神社」

「アリャアリャ、ありがたや、叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり、皆々いさんでカッピキュー」
これは、享保五年(1720)から当地に伝えられているといわれ、毎年九月の祭礼に奉納される県指定無形民俗文化財「虎踊り」に登場する和藤内のせりふの一節です。
叶明神は、平家の横暴ぶりを憤った文覚上人が、上総国(現在の千葉県)鹿野山(かのうざん)にこもり、はるかに山城国(現在の京都府)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に源氏の再興を願って叶(かな)えられたことから、養和元年(1181)にそのみ霊(たま)をこの地に迎えて祭ったことに始まると伝えられています。したがって、この神社の祭神は、石清水八幡宮と同じ応神天皇(第十五代の天皇)です。
現在の社殿は、天保八年(1837)に消失した社殿を天保十三年に再建したものです。再建に要した費用は、約三千両と記録されています。とくに注目に値するのは、内部を飾る精巧な彫刻です。作者は、のちに名工とうたわれた安房国千倉(現在の千葉県)の彫刻師後藤利兵衛橘義光です。当時、二十代の若さであったといわれています。彫刻に要した費用は、総建築費の約七分の一にものぼる四百十一両余でした。奉行所が置かれ、回船問屋が軒を連ねていた隆盛期の浦賀であったからこそできたことと思われます。
社殿の裏山には、文覚畑と呼ばれている所があり、文覚上人の庵室の跡と伝えられています。また、社殿の右手下に「明治天皇駐輦(れん)跡」があります。これは、明治十四年五月十八日に明治天皇が観音崎砲台建設の様子を御覧になられた際、当時この場所にあった浦賀西岸学校の二階の一室に御休息されたのを記念して建てられた碑です。

※1977年、横須賀市制70周年記念事業として「横須賀風物百選」を選出した際に作られた説明板の全文です
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