走水水源地ハシリミズスイゲンチ

Hashirimizu Reservoir
走水・観音崎・大津・浦賀
 走水水源地は、明治9年、フランス人技師ヴェルニー指揮のもと、日本の近代化が始まった横須賀製鉄所(後の造船所)の用水として使用したことに始まる歴史ある水源地です。
 煉瓦造貯水池とコンクリート造浄水池は、共に国登録有形文化財・日本遺産構成文化財に指定されており、今なお現役施設として活躍しています。

 一日約1,000立方メートル涌き出る水はミネラルを豊富に含み、美味しいことで有名です。 「ヴェルニーの水」と名付けられたこの湧き水は、駐車場敷地内の水栓から飲むことができます。

※湧水を膜ろ過設備によって浄水したものです。
※走水水源地は桜の名所としても有名です。青い海を背景に咲く桜の花は見事です。
開花時期(3月下旬~4月上旬)には、100本を超える桜が咲き誇り、東京湾を見ながら散歩等でご利用いただけます。

information

基本情報
住所
横須賀市走水1-2-1
アクセス
京急馬堀海岸駅からバス「観音崎行」(約5分) JR横須賀駅からバス「観音崎行」(約20分)いずれも、「伊勢町」バス停下車すぐ。(車)横浜横須賀道路馬堀ICから観音崎方面へ約500m
営業時間
開放時間:8時00分~17時00分

【お知らせ(令和4年2月15日更新)】
走水水源地公園の西側の芝生広場は、令和4年2月15日に開放いたしました。
定休日
年中無休
(駐車場内のヴェルニーの水は1年を通し飲むことができる。※保守点検時等を除く)
駐車場
台数:111台
時間:入庫 5:00~20:00、出庫 5:00~21:00
※21時以降、翌日の5時までは出庫できません。
料金:30分につき210円ずつ加算
※上限(3時間半を超えると)1,680円
※利用中に24時を超えた場合は、新たに料金を計算します。
※自転車置き場有(無料)
公式サイト
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/5560/sisetu/hashirimizusuigenchi.html
お問い合わせ
NPO法人グリーンクラブ(指定管理者)
TEL:046-824-2171

access

アクセス

barrier free

バリアフリー対応
エレベーター ×
エスカレーター ×
入り口段差解消のための措置(スロープを含む) ×
車いす対応トイレ ×
オストメイト対応トイレ ×
車いす貸し出し ×
子供用オムツ替えシート ×
ユニバーサルシート
(大人用オムツ替えシート)
×
障害者等用の駐車場 ×
誘導用ブロック ×

about

スポットについて
歴史・文化

明治9年(1876)、横須賀造船所のフランス人技師ヴェルニーは、走水の豊富な湧水を利用し造船所の用水を確保するため、約7kmの水道管を敷設しました。馬堀小学校との間にある二つのトンネルは、その際、水道管を通すために造られたものです。建造当初は細い1本のトンネルでしたが、その後、軍用道路として拡張されました。
水源地の山際にあるイギリス積みの赤れんがの建造物は、明治35年(1902)に完成した貯水池です。上屋はれんが造りで内部天井がアーチ型の「ヴォールト屋根」になっているのが特徴。古びたれんが積みが歴史の重みを感じさせます。
海側には、明治41年(1908)に完成した、日本最初期の鉄筋コンクリート建造物の一つに数えられている浄水池があります。道沿いから見ることはできませんが、桜の時期の開放日には目にすることができます。

市制施行七十周年期記念  横須賀風物百選 「水道水源地」

現在、本市の水道水源は、中津川、相模川、酒匂川とこの走水の四水系です。しかし、大地震が起きたときに頼れる水源は、この走水しかありません。
この水源地で四十一万市民に供給できる水量は、一日につき、一人当たり約五リットルです。衣類の洗たくなどはできないにしても、食べ物の煮炊きや飲み水は賄える量です。ここ走水一帯は、昔から地下水の豊富なところとして知られ、明治初年頃、水おけで飲み水を市民に売り歩く商売がありましたが、その水は、この走水地内仲町のわき水を船で運んだものだといいます。
現在地の水源を発見し、市内で最初の水道を実現したのは、横須賀製鉄所や観音崎灯台の建設に功績を残したフランス人技師、フランソワ・レオン・ウェルニーです。
明治七年五月二十七日、この水源地から横須賀造船所(現米軍基地内)までの約七キロメートルの水道工事に着手しました。
内経約十二.五センチメートル、長さ一メートルの土管をつなぎ合わせて埋設し、土地の高低差を利用して水を送る自然流下方式で、明治九年十二月に完成しました。その後、水道管は土管から鋳鉄管に替わり、内径も約二十センチメートルになりました。
更に明治三十四年から三十五年にかけて内径約二十五センチメートルの水道管が敷設され、動力ポンプによる送水方式となりました。
それまでの水道は、軍需用でしたので、市民の水道を敷設するため不要となった水道管すべての払い下げを受け、走水の覚栄寺境内のわき水を水源として、大滝・若松・小川の三町に送水を開始しました。
市制施行一年十か月を経た明治四十一年十二月十五日のことです。使用戸数は三百三十二戸と記録されています。

※1977年、横須賀市制70周年記念事業として「横須賀風物百選」を選出した際に作られた説明板の全文です

「走水隧道(はしりみずずいどう)」

このトンネルの前身は導水隧道で、明治九年横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠(こうしょう))に、走水の湧き水(わきみず)を送る土管を敷設するために掘られた。当時は、およそ幅が一米、高さ一・五米、長さ三二〇米の素掘で、途中海側に明りとりの丸窓がついた一本のものであった。
その後、東京湾要塞(ようさい)として走水・観音崎地区の重要性が高まり、車馬による交通路を確保するため、軍によって明治十六年、およそ現在の規模に拡張された。こちら側を「走水第二隧道」、馬堀側が「走水第一隧道」呼ばれ、入り口アーチの煉瓦積みの古色に、当時の面影を残している。
平成三年十二月 横須賀市 大津地域文化振興懇話会

※走水随道にある解説板の全文を掲載しました