1092年〜1180年
三浦氏四代の義明は三浦義継の子として衣笠で生まれ、幼少の頃より弓馬に秀でていたといわれています。一族を三浦半島全域に配して領地を治める一方、相模国の在庁官人として国務に参画するなど、政治・人格に優れた人物であったと伝えられています。
治承4年(1180)、源頼朝の挙兵に呼応し兵を挙げますが、平家方の大軍に攻められ衣笠城に籠城します。劣勢に意を決し、「今、この老いた命を武衛(頼朝)に捧げて、子孫の繁栄をはからん」と、義澄以下一族を頼朝に加勢させるべく久里浜から安房へ逃がし、一人城に残り討ち死にしました(衣笠合戦)。
満昌寺に坐像があるほか、「腹切の松」をはじめ、多くの逸話が残されています。
※→満昌寺
※→腹切の松
三浦氏四代の義明は三浦義継の子として衣笠で生まれ、幼少の頃より弓馬に秀でていたといわれています。一族を三浦半島全域に配して領地を治める一方、相模国の在庁官人として国務に参画するなど、政治・人格に優れた人物であったと伝えられています。
治承4年(1180)、源頼朝の挙兵に呼応し兵を挙げますが、平家方の大軍に攻められ衣笠城に籠城します。劣勢に意を決し、「今、この老いた命を武衛(頼朝)に捧げて、子孫の繁栄をはからん」と、義澄以下一族を頼朝に加勢させるべく久里浜から安房へ逃がし、一人城に残り討ち死にしました(衣笠合戦)。
満昌寺に坐像があるほか、「腹切の松」をはじめ、多くの逸話が残されています。
※→満昌寺
※→腹切の松
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