満願寺(まんがんじ)

 
 佐原義連によって建てられたと伝えられています。
 義連は源義経に従い一ノ谷の合戦に参加し、鵯越の難所を一番に駆け降りた武将で、平家追討の願いが叶ったことから「満願寺」としたと伝えられています。
 本堂脇の収蔵庫には国指定重要文化財の木造菩薩立像と木造地蔵菩薩立像、市指定の木造不動明王立像と木造毘沙門天立像の四体が安置されています。
 木造菩薩立像は義連が平家追討のため西国へ向かうにあたり、運慶に自分の姿を彫らせたと寺伝にあります。
 本堂左手の階段をのぼると観音堂があり、その右手に義連の墓と伝えられる五輪塔があります。
※収蔵庫の文化財の見学は事前の申し込みが必要
→佐原義連

菩薩/蔵菩薩立像

木造不動明王立像

木造毘沙門天立像
市制施行七十周年期記念  横須賀風物百選

「満願寺の諸仏と佐原十郎義連の墓」


 臨済宗岩戸山満願寺は、三浦大介義明の子佐原十郎義連によって建てられたと伝えられています。
 本堂の左の階段をのぼると観音堂があります。そこには、もと、等身大以上の観音菩薩(国指定の有形文化財)、地蔵菩薩(同)、不動明王(市指定の有形文化財)、毘沙門天(同)の立像が安置されていました。現在、それらは、本堂右手の収蔵庫に安置されています。
 観音菩薩立像は、十九歳の義連が平家追討のため、西国へおもむくにあたり、鎌倉時代の代表的な仏像彫刻家運慶に自分の姿を彫らせたと寺伝にあります。また、三浦古尋録と言う書物には、「佐原十郎ヲ観音ニ巴祭リ巴御前ヲ地蔵ニ祭リ和田ノ義盛ヲ毘沙門ニ祭リ朝比奈ノ三郎ヲ不動ニ祭ルト云四尊トモ運慶ノ作」と記されています。
 佐原十郎義連は、十九歳で源平の合戦に参加し、一の谷のひよどり越では、一番乗りの手柄をたてた勇者で、弓の名手でもありました。また、落ち着きのある武士で、頼朝や北条家から深く信頼されていました。その証拠に、頼朝の寝所の護衛を命じられたり、北条政子の弟時連が元服の折に烏帽子親をつとめたりしています。
 義連は、建久二年(1191)、七十五歳でこの世を去りました。そのとき、多数の家臣が義連を慕って死んだと言われています。
 観音堂の右手に、義連の墓と伝えられる五輪塔があります。空・風・火・水・地輪で構成された鎌倉時代の様式を備えています。ただ残念なことに、空・風・地輪は、のちになって補ったものと伝えられています。   

※1977年、横須賀市制70周年記念事業として「横須賀風物百選」を選出した際に作られた説明板の全文です

国指定重要文化財

木造菩薩立像・木造地蔵菩薩立像
昭和四十七年五月三十日指定

 両像ともに等身大を上回り、量感豊かな威厳をたたえた姿をしている。
 観音像ともいわれる菩薩像は、少し腰をひねり右足を前に出し、膝を軽く曲げ、穏やかな表情の中にも張りのある男性的な逞しさを感じさせる。
 像は寄せ木造りで玉眼入り、高さは226.3センチメートルで、手に持つハスの花や光背、岩座などは後に造られたものである。
 寺伝によれば、佐原義連(三浦義明の子)が平家追討に西国へ赴く時、仏師・運慶に造らせたといわれる。 高い髻(まげ)、豊かな顔など運慶作の浄楽寺像とよく似ているが、衣文ひだが複雑でなく地方的な作風が見られ、運慶の影響を受けた鎌倉地方仏師の制作といわれる。
 地蔵菩薩像は、左足を幾分後に引き、顔をやや斜めに左方へ向けた姿勢を取る。張りのある頬、切れ長の伏し目がちな眼、引き締まった口元は若々しさを感じさせる。
 像は寄せ木造り玉眼入り、高さは203センチメートル、左手に宝珠(ほうじゅ)右手には2メートルを超す錫杖(しゃくじょう)を持つ通常の姿で、宝珠や錫杖、光背、岩座は後に造られたものである。
 全体の均整が良くとれた像は、逞しさの中にも穏やかな優しさを感じさせ、表現・技法には本寺の菩薩像と共通のものがあり、同一の作者の制作と考えられる。
 両像ともに鎌倉時代初期の東国の武士たちが、いかに運慶様式の像を好んだかを物語る貴重な資料である

 平成元年十二月  横須賀市教育委員会

※横須賀市教育委員会が立てた説明板を一部修正したものです

横須賀市指定重要文化財

木造 不動明王立像(もくぞう ふどうみょうおうりゅうぞう) 一躰
木造 毘沙門天立像(もくぞう びしゃもんてんりゅうぞう)  一躰

 不動明王像は岩座上に立ち、火焔光背を背負い、右手に宝剣、左手に羂索を持つ通形の像である。寄木造り、玉眼入りで像高163センチ。持物・光背・岩座は後補である
 毘沙門天立像は邪鬼の上に立ち、輪宝光背を背負い、右手に矛(ほこ)を持ち、左手は腰にあてている。寄木造り、玉眼入りで像高163センチ。持物・光背・邪鬼・岩座は後補である。
 両像とも全体に力強さはあるが、身のこなしが固く動きがあまり感じられない。ともに鎌倉時代末ごろの制作で、この地方の仏師の作品と考えられる。国指定の菩薩形立像・地蔵菩薩立像とともに、三浦一族の仏教文化を伝える資料である。

 昭和四八年一月指定 横須賀市教育委員会

※横須賀市教育委員会が立てた説明板の全文です

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